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--更新情報--

2015.1.16更新内容
1)
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2014.4.25更新内容
1)その13~15、0 追記。

2014.4.18更新内容
 1)その11、12 追記。

2014.4.11更新内容
 1)その9、10 追記。

2014.4.4更新内容
 1)その6、7、8 追記。

2014.3.26更新内容
 1)その4、5 追記。

2014.3.21更新内容
 1)その2、3 追記。

絵の世界のページ

日本の童謡CDのジャケット内歌詞カードに収められてた絵を紹介します。
このページは、作画の中間恵子が構成しています。
絵の全貌はCDジャケット冊子にて。日本の童謡CD購入はamazon.co.jp にて。

その0) ジャッケト画 ぼくらの唄

ぼくらの唄 ジャッケト表紙として、一番最初に描いた絵です。
童謡とは何ものか?と考えました。子どもに何を伝えたかったのか?未来に何を託したかったのか?。日本の美しい風景や四季、文化や情緒は宇宙感そのものだと感じます。その宇宙感で眺める花鳥風月はまるで地球そのもの。それぞれが小さな存在でありながらその前後左右過去未来に続く愛の繋がりです。それを未来である子ども達へ伝う唄は愛そのものだと思ったのです。だから音符のような地球のようなハートになったなった訳です。その自然物に対する人為的な唄=“想い”を宇宙を走る汽車として描きました。

 

その1) 宇宙を飛ぶとんぼ

宇宙とんぼ 28. 「とんぼのめがね」 額賀誠志 作詞 平井康三郎 作曲(昭和24発表) をモチーフに。
「とんぼのめがね」には、「とんだから」「みてたから」の過去形の歌詞が入っているんです。 すぐ前が「お星さま」という曲という繋がりもあるのですが、「とんぼのめがね」のとんぼは飛んだ風景を記憶できるメガネを持ているように、歌詞を読み取ることも出来ました。なので、真っ暗な宇宙を飛んだとしても、トンボは故郷の空をメガネに映しながら飛んでいるのではないかと・・ふと思ったのです。我々が幼い頃、誰かと一緒に心に焼き付けた故郷の空を、忘れることのないように・・。

 

その2) Two Hearts

Two Hearts Two Heartsは、32. 「おかあさん」の横に入れた絵です。
「おかあさん」って、それぞれにいて、それぞれ違うイメージがあって、概念的イメージを固定化するのが難しい存在だと思うんです。むしろ、具現化しない方が良いのかなって思ったりします。ただ一つ、確かなことは、母とは、子と対で成り立つ相対的概念だということです。 具現化しない抽象の中にこそ、それぞれの母とその関係を感じることが出来るのだと思うわけです。私にとって母とは、具象化したくないものであり、そして私自身でもあります。母とは、可視的な人であり得るのだけど、それは記憶であり、気持ちであり、環境であり、影響であり、継承している思考であり、心であり、DNAであったりします。物質の記憶、臭いや色の記憶にすら不可視的に存在します。母とは、形而上的な概念だったりします。

 

その3) めだかの学校

めだかの学校 31. 「めだかの学校」のページの絵です。
最初は水の中のメダカが、音符や五線のようなもので障害物競走しているようなラフを描いたりしました。だけどピンとこない。歌から感じる、のどかで、こじんまりと、ほのぼのしたイメージを描きたいと思い水面から見える、小さなさかな達を描くことにしました。右の画像はその一部分です。メダカが見える澄んだ水、キラキラと光る水面、見え隠れするわくわく感、それをのぞき見る子どもの瞳、全部ふくめ、ほっとする日本の光景なのだと思ったのです。

 

その4) しゃぼん

しゃぼん玉 18. 「しゃぼん玉」のページの絵の一部のしゃぼんです。
同じページに載っている歌のイメージが、世界の幻影として一つ一つのしゃぼんに映り込んでいます。
左のしゃぼんには、「ちょっきん」された、うさぎの耳と、カニの床屋のハサミが虹色に映り込んでいます。「あわて床屋」の他にこのページには、「通りゃんせ」や「七つの子」「どんぐりころころ」のの歌詞が並んでいます。

 

その5) しゃぼん玉

しゃぼん玉 18. 「しゃぼん玉」のページの絵の一部です。
屋根まで高く飛ぶしゃぼん玉、その高さを絵にするために、上からの見下ろす感じで高さを表現しました。左の画像は、一部をアップにしたものなので、実際の絵の全体をみれば、おそらく3階ぐらいから見下ろした高さに見えます。
高く上がった泡(シャボン玉)=幻影は、世界の虹色に美しく映して、やがて、はじけて消えて無(夢)になります。 人物を小さく描くことで、そのはかない美しさと、切なさを、描きました。相対するものを内包する美は、日本の美学そのものの様に思えます。

 

その6) 富士山

富士山 7. 「富士山」のページの絵の一部です。
実物の富士山は、美しい裾野の広がりが特徴的な形で、一見それほど険しさのないような優しく穏やかな形にも見えます。今回富士を描くにあたり、私はあえて、そびえ立つ富士に描きました。まだ写真がない時代、神(信仰)の山富士を、高く険しくそびえ立つ姿で示した画がほとんどでした。美しさと気高さと、畏れ、険しさと恐れが象徴的な造形として表されていたのだと思います。私もまた実写的でない富士をあえて描くことを意図した理由は、その人間界を超越したその存在を象徴的に描くことを試みたからです。

 

その7) 海

海

11. 「海」のページの絵の一部で、富士山と見開きで繋がったように描いてあります。 作詞・作曲者不詳なので、歌われている海が、どこの海なのかわかりませんが、富士山と近いページ配置であったことと、「松原」という歌詞から特定の場所をイメージするかもしれませんが、特定な場所をイメージして描いた訳ではありません。何となく抽象感がありそな感じになっています。海とは美しさと厳しさの相対を持っています。そのチカラは浄化でありながら生の基でもあります。海とは実に不思議です。我々を抱いた母の様でもある。

 

その8) あめふりくまのこ

あめふりくまのこ 36. 「あめふりくまのこ」のページの絵の一部で、熊澤さんのリクエストで描いた絵です。この子はいったい何歳なのだろう?この子はいったい何故雨の中一人なのだろう?。いろいろ考えました。歌の解説はおもしろ「日本の童謡」ページを参照ください。人によっては無邪気な歌に聞こえるかもしれません。私も雨は好きですが、なぜか私にはとても孤独な歌に聞こえました。なのでそのとてつもない幼児期の喪失感に近い孤独感を描くため、空から見下ろしたアングルで雨と共に描きました。たぶん、子どもの私です。様々な心を投影できるのも童謡の魅力なのかもしれません。

 

その9) 札幌時計台

札幌時計台 21. 「時計台の鐘」のページの絵の一部で、熊澤さんのリクエストで描きました。モチーフは札幌の時計台。赤い星は札幌のシンボルであり、開拓のシンボルでもある北極星とのこと。未開の地の済んだ広い空で、開拓者の心の輝きと同じように、どれほど、かがやいていたことでしょうと想像します。そしてまた時計台の鐘の音も同じように心の音だったのだろうと。熊澤さんに時計台のことを聞くと「鐘の音はどこか寂しいけど、ほっとするし、安心する」とおっしゃっていました。札幌の象徴でもありますが、もっと自然に日々の日常の空気感の中に活きている鐘の音なのではないかと感じました。

 

その10) かたつむり

あめふりくまのこ カタツムリとは、陸貝の俗称です。貝類は、危険を感じると殻に綴じこもる習性があります。殻のない人間にも「殻に閉じこもる」という言葉を時々応用することがあります。それって心を閉ざすってことですかね?。そんなとき、「出せ!」出せ!」ということが励ましだった思考はちょっと時代を感じます。現代なら自らが殻の扉を開く勇気を持って欲しいと願うことが応援なのかな?と。殻があるのは、立派なことだと思いますよ。閉じこもりたいと思うような感度のいい心を持っていることもステキなことだと思います。だけど長く閉じこもっていると、いろんなものを取り逃してしまう、変化するきっかけも。だから勇気を持って(出して)ほしい、そんな歌なのかもしれませんね。

 

その11) うさぎ と かめ

うさぎとかめ 1.「うさぎとかめ」の歌詞のあるページの隅にとっても小さく載せてある絵です。絵のスペースがあまりないので、歌詞の内容をどう絵に展開するか難しいところですが、目線でウサギとカメの心を対比することで内容イメージを描きました。単にカメは目標を心で視ているの対して、ウサギには大事な目標を視ていません。実はこの解釈、毎月家庭に毎月家庭に配布される、ふじようちえんの「園長だより」の一文に影響されています(笑)。「園長だより」いつも勉強になります。

 

その12) 月

つき 月は本当に面白いです。月の形には意味があったりします。とはいえ、絵に描くときは、構図との関係で、月の向きや時間帯の概念を無視してしまうこともありますし、知識や意味を意図していない月の絵もたくさんあります。3.「つき」では、満月を歌っているようです。満月は暗くなりはじめから昇りはじめるので、強烈に大きく視ることができます。子どもでも視ることができる時間です。日本では、とっても親しみやすいようなイメージだと思います。子ども達も大人達も、草木や虫までも、みなを優しく見守っているように思えるのです。

 

その13) ぞうさん

ぞうさん 「『鼻が長い』と言われれば からかわれたと思うのが、子ゾウは『お母さんだってそうよ』、『お母さん大好き』と言える。素晴しい。」と語ったという作詞者のまど・みちおさんの逸話があります。38曲の中で一番最初にイメージが浮かんだのがこのゾウの絵。二本足の擬人化したゾウの親子の姿です。擬人化ゾウ像の代表格、ガネーシャは、障害を取り除く神。また映画のエレファントマンも、障害にまつわる強い心のお話し。ゾウとは、障害的な不自由さと、優しさ・強さを内包している象徴なのかもしれないと感じました。 母、ピンクのゾウは幻影を示す言葉です。つまり、母ゾウは、実在からも派生しているのだけど・・記憶から派生する力の根源といいましょうか?。想いそのもの。それは、モノでなく想いの結晶なのだと。つまり、こころそのものなのだと、愛の源泉だと、それが強さの基なのだと思うわけです。

 

その14) 月の沙漠

沙漠の月 19.月の沙漠の絵(熊澤さんのリクエストで描きました。)の沙漠です。東京砂漠なんて歌がありましたが、この世は砂漠だと感じるときそこには絶望感が存在する気がします。沙漠は砂漠と違い、ゴツゴツゴロゴロとしたイメージなのだとか。まるで月の表面のイメージです。この絵では、歌4番の「広い沙漠を一筋に」の歌詞のイメージして、一筋の足跡が引き立つよう沙漠の表面はゴロゴロは描いていません。一筋に寄り添った足跡が、彼らの揺るがぬ覚悟のように思えてなりません。ところで、ラクダの足跡はハート型って知ってますか?。彼らの過ぎた後にはハートが沢山寄り添って繋がっています。刹那すぎます。

 

その15) 沙漠の月

月の沙漠 19.月の沙漠の絵の月です。この歌の月は、おそらく、26夜月だと思いました。丑三つ時に東の稜線に昇る月で、これから無(新月)に帰る欠けゆく刹那の月、折三尊が合われるという月です。夜明けには空に昇りやがて白くなります。王子と姫はなぜ目立つ白装束で、なぜ夜中に二人きりで、どこへ行くのだろう?と考えました。 彼らが目指したのは、おそらく別の世界(黄泉の国)、月はその入り口なのだと思いました。だけど彼らは月の住人じゃないから、別の世界ではきっと生きていけないのだろうと思います。それでも二人きりで月を目指すほどの物語がそこにあるのだと思います。